がんになっても、できるもん!

101万 対 62万(50万) これ何の数字かわかります?

がんの新規罹患者 対 交通事故の負傷者(事故件数)なんです。

出典;2016年推定値・国立がん研究センター/2016年・交通事故総合分析センター

がんは、いまや交通事故よりもずっと身近な存在です。

いやはや、大変な時代になってしまいました。


でも・・・今や、がんは、きちんと治療したら普通の生活に戻れるのです。

仕事をし、恋愛し、結婚だってするのです。

これは、“5years”というがん患者・家族の日常取戻しをサポートする団体で

知り合った友人の感動のストーリーです。
どうかお読みになってみてください。


【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1

卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。 基本情報 名前: 藤井恵さん 年代: 40代、女性 病名: 卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺) 進行: 卵巣がん→1c 子宮体がん→1a 発症: 2014年10月(38歳) 治療: 2度の開腹手術、その後抗がん剤化学療法(6クール) 期間: 2014年10月~2015年5月 合併症:1回目2回目の化学療法中に軽い蕁麻疹 職業: 会社員 生命保険: 入っていませんでした。 >>藤井恵さんのインタビューを読む >>藤井恵さんのがん経済を読む 第1話「痛みのひどい生理」 「痛みも、苦しみも、俺に分けてほしい。すべて一緒に背負うからさ」 彼氏からそう言われて涙が止まらなかった。 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、プロポーズを受けた。 この話(ストーリー)は27年前の北海道までさかのぼる。 埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、27年前、北海道三笠市で中学生のころ生理がくるのがつらかった。 初潮は小学生6年だったが、中学に進学してからは出血量が多く痛みもひどくなっていった。 母親に相談すると「私はそんなに痛くなんだけどねえ」と返され個人差が大きいと感じた。 つらいけどまだ中学生だからと学校は休まずに我慢して登校していた。 15歳になり岩見沢西高等学校に進学した。 入学して間もない高校1年生の授業中のことが忘れられない。 確か、倫理社会の授業だった。 急に吐き気がし出し、血の気がさーっと引いていく感じがした。 強い貧血状態になり授業中に椅子に座っている事すらつらくなっていった。 「もう少しで授業が終わるから…」と我慢し、休み時間に保健室に行き1時間程横になった。 「なんだろう…、なんでこんなんなるんだろう」 これほどのつらい生理痛は初めてのことで自分の身体が少し怖くなった。 中学の頃よりも高校に入ってからの方がひどい。 そんなつらい生理が、1年に2~3回やってくる。 「私ってこういう体質なんだろうか…」 鎮痛剤バファリンが手放せない高校生になった。 母親から病院に行って診てもらうように勧められたが恥ずかしさから、どうしても病院の婦人科に行くことはできなかった。 「大丈夫。きっと20歳を過ぎたら落ち着くはず」 自分で自分に言い聞かせていた。

ミリオンズライフ

むくみよ、さらば!リンパレッツ

医療用弾性スリーブ・ストッキングのお店<リンパレッツ>店長のブログです。

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